10月2日からスタートしているNHKの朝ドラ、連続テレビ小説ブギウギ。皆さんご覧になっていますか?
ブギウギの主人公・福来スズ子(ふくらいすずこ)のバディともいうべき羽鳥善一(はとりぜんいち)役を草彅剛(くさなぎつよし)さんが演じることでも話題になりましたよね!
いつでも明るく、音楽を愛しスズ子の歌の才能を信じてたくさんの楽曲をスズ子に提供した、羽鳥善一。
モデルは、ブギウギの音楽を担当した服部隆之(はっとりたかゆき)さんの祖父・服部良一(はっとりりょういち)さんであることが公式でも明らかになっています。
一体何者なのか?どんな生涯を歩んだのか、結婚歴や子どもや孫の情報などもまとめました。
羽鳥善一のモデルは何者?Wiki風プロフィールも!
羽鳥善一のモデル、服部良一さんは一体何者だったんでしょうか?
プロフィールや代表作も調べてみました!
服部良一Wiki風プロフィール
出典元:服部良一オフィシャルサイト
名前 | 服部 良一 村雨 まさを(作詞家としてのペンネーム) 服部ヘンリー(「恋のステップ」作成時のペンネーム) |
生年月日 | 1907年10月1日-1993年1月30日 |
出生地 | 大阪府大阪市中央区 |
職業 | 作曲家・編曲家 |
代表作 | 別れのブルース/淡谷のり子 東京ブギウギ/笠置シヅ子 銀座カンカン娘/高峰秀子 青い山脈/藤山一郎 |
服部良一さんは、大阪の魚屋の長男として生まれ16歳から音楽を始めたのち26歳で上京をしました。
元々音楽家の家系ではなく、姉の勧めで音楽を始めたそうですよ。
戦前は淡谷のり子さんの「別れのブルース」をヒットに導いたころに笠置シヅ子さんと出会い、「ラッパと娘」をリリースするも第二次世界大戦が勃発。
戦時中は上海で現地の日本兵へ向けた音楽での慰安活動を続け、戦後の日本を笠置シヅコさんと音楽の力で勇気づけました。
服部良一はどんな人?生い立ちや性格は?
出典元:服部良一オフィシャルサイト
ブギウギではいつでも明るい羽鳥善一ですが、服部良一さんは一体どんな人だったんでしょうか?
生い立ちや性格を調べてみました。
負けず嫌いの頑張り屋な少年期
服部良一さんは大阪で生まれ、少年時代は負けず嫌いで頑張り屋さんでした。
両親が芸事が好きな明るい家庭だったこともあり、人前で歌ったり楽器を演奏するのも好きな少年でした。
ブギウギで羽鳥が言っていたように、実家は魚屋を営んでいましたが元々は人形師の家系。
代々土人形を作っていましたが、セルロイド製の人形が普及したことにより業績が悪化。
実家が廃業に追い込まれたため貧しい生活となり、服部さんは小学校のころから新聞配達で家計を支えていました。
音楽愛にあふれた生粋の音楽家
25歳で上京後音楽家として活動し始めてからというものの、平均で1ヶ月に6曲は製作していたという服部さん。
頭に浮かんだメロディをすぐにパソコンに打ち込むなどができない当時では、驚異的なスピードでした。
生涯、作成した曲は何と3000曲。ブギウギの羽鳥善一同様、音楽への情熱にあふれた音楽家だったんですね。
服部良一85年の歴史
出典元:wikipedia
服部良一さんはどんな人生を歩んだのでしょうか。年表にまとめてみました!
服部良一の出生~上京
1907年10月1日 | ・大阪府大阪市東成区にて誕生 |
1914年 | ・大阪市東平野尋常高等小学校(現・大阪市立生魂小学校)に入学 |
1920年 | ・小学校卒業後、昼は働き夜は大阪市立実践商業学校に通う |
1923年 | ・姉の勧めで音楽を始める ・出雲屋少年音楽隊に首席で入学 当初はオーボエを担当するが、サックスとフルートに転向 |
1925年 | ・第一次大戦後に不景気となり、音楽隊が解散 |
1926年 | ・大阪フィルハーモニック・オーケストラに入団 オーケストラでは第2フルートを担当した 空いた時間で、ジャズ喫茶でピアノ演奏も行う |
1929年 | ・タイヘイレコードと専属契約 |
1932年 | ・タイヘイレコードの指示により、当時のヒット曲を模した曲をかかされる こうした仕事に嫌気がさしはじめ、上京を考え始める |
1933年 | ・親交のあったジャズ歌手ディック・ミネの助言もあり上京 ・人形町のダンスホール「ユニオン・ダンス・ホール」にサックス奏者として加入 |
元々は商人になるつもりだった服部さん。小学校卒業後は商売の勉強をしながら、姉の勧めで音楽を始めました。
16歳で音楽を始めた服部さんは大阪フィルハーモニック・オーケストラでエマヌエル・メッテルという指揮者と出会います。
メッテルに才能を見出された服部さんは、個人レッスンを重ねてめきめきと音楽家としての感性を育てていきました。
結婚~上海で音楽を続けた戦時中
1935年 | ・富澤万里子と結婚する |
1936年 | ・長男の克久が誕生 |
1936年 | ・「コロムビア・レコード」の専属作曲家になる |
1938年 | ・淡谷のり子の「別れのブルース」が大ヒット ・笠置シヅ子と出会う |
1939年 | ・「ラッパと娘」をリリース |
1944年 | ・派遣軍報道部嘱託奏任官佐官待遇として上海へ 上海交響楽団を指揮して「夜来香幻想曲」を発表する |
1945年 | ・8月終戦を上海で迎え、12月に帰国する |
一目ぼれした妻の富沢万里子とは帝国ホテルで結婚式を挙げています。
2人の結婚式は、帝国ホテル史上で一番盛大な結婚式で、オーケストラを持ち込み音楽の鳴りやまぬ結婚式でした。
出典元:服部良一オフィシャルサイト
笠置シヅ子と歩んだ戦後~逝去
1946年 | ・笠置シズ子の初春公演の音楽を担当する |
1948年 | ・笠置シヅコの代表作となる「東京ブギウギ」をリリースし大ヒット |
1949年 | ・「セコハン娘」「コペカチータ」「銀座カンカン娘」 「買物ブギ」「三味線ブギ」を次々とリリース |
1950年 | ・アメリカツアー“ブギ海を渡る”で笠置シズ子等と渡米する |
1951年 | ・帰国報告記念ショー「ホノルル、ハリウッド、ニューヨーク」を日劇で発表する |
1978年 | ・日本音楽作曲家協会会長に就任する |
1992年 | ・服部家三代を描いたミュージカル「服部家の人々」が公演される ・「服部良一音楽祭」を大阪城ホールで開催 |
1993年1月30日 | ・闘病の末、85歳で逝去。国民栄誉賞を受賞 |
出典元:NHK出版デジタルマガジン
戦後は笠置シヅ子さんと共に沈んだ日本を元気づけるような明るい楽曲を多く残した服部さん。
1950年にはアメリカツアーも成功させました。
その陰の立役者にはジャニー喜多川さんの存在もあったそうでその後ジャニーさんと服部家はしばらく交流が続きました。
晩年は脳梗塞を発症し、車いす生活を強いられた服部さん。
それでも南こうせつさんや財津和夫さんの後押しで1992年には大阪城ホールで開催します。
その翌年の1月に呼吸不全で亡くなっており、最後まで音楽を愛し音楽を奏で続けた音楽家としての生涯でした。
服部良一の妻や子ども・孫
出典元:服部良一オフィシャルサイト
服部さんは、妻・万里子さんと生涯円満で、二男三女の子宝にも恵まれました。
妻・万里子
出典元:服部良一オフィシャルサイト
服部さんの妻、富沢万里子さんは東京の神田鍛冶町の唐物屋の長女で東京府立第三高等女学校(現・東京都立駒場高等学校)を卒業。
ブギウギでは善一の妻・麻里のモデルとして登場しました。
万里子さんの通った女学校は戦前「浅草の一女・小石川の二女・ 麻布の三女」として三大女学校の名門の一つに数えられており相当才女だったようです。
一方でレコードを出せば売れ、お金が余って仕方なかった服部さんは待合と呼ばれる場でプロの女性とばかり遊んでいました。
そんな中、待合の女将から万里子さんを紹介された服部さんは結婚するなら万里子さんのような真面目な素人がいいと考え結婚を決意。
当時関係を持っていたプロの女性たちとはきっぱり別れ生涯、万里子さんだけを愛し続けるのでした。
長男・克久
出典元:服部克久オフィシャルサイト
服部家の長男として誕生した克久さん。
ブギウギでも善一の長男・カツオのモデルとして登場していますね。
良一さんは幼少期より克久さんに音楽の英才教育を行い、高等学校卒業はパリ国立高等音楽院へ留学へ出しています
克久さんは、父・良一さんと同様日本の音楽界に多大な功績を残しており、さだまさしさんや山下達郎さんなどとともに昭和~平成の歌謡界を支えました。
代表曲には大人気音楽番組「ザ・ベストテン」のテーマ曲や、谷村新司さんの「昴」などが挙げられます。
若い頃は父の才能に引け目を感じていた一方で、大一番のコンサートには必ず父の形見である腕時計を身に着け臨んでいると明かしていました。
「マスコミにあてがわれた仕事ばかりしていたのではダメになる」「年に一度くらい、自分のやりたいことをやろう」
と親子で話し合い、良一さんとともに親子共演のコンサートを定期的に開いていました。
孫・隆之
出典元:産経ニュース
ブギウギの音楽を担当しているのは良一さんの孫にあたる服部隆之さんです。
良一さんの音楽の感性は克久さんへ、そして隆之さんにも確かに受け継がれていました。
隆之さんも祖父、父と同じく作曲家として第一線で活躍。朝ドラは1999年の「すずらん」以来2度目の音楽担当となっています。
代表作はデスノートや華麗なる一族、半沢直樹シリーズにHEROシリーズなど多くの平成の名作に携わっています。
ブギウギはもちろん今後も歴史に名を遺す作品に関わっていくのではないでしょうか!
【ブギウギ】羽鳥善一のモデル・服部良一のまとめ
今回は連続テレビ小説ブギウギの羽鳥善一のモデル・服部良一さんについて調査してみました!
その結果
・服部良一は生涯で3000曲を書き上げた音楽家
・服部良一は遊び人だったが、妻・万里子と結婚後は愛妻家となり5人の子宝に恵まれた
・笠置シヅ子は良きビジネスパートナーとしてお互いの音楽活動を支えた
・子の克久、孫の隆之を始め音楽家系を築き上げた
ということが分かりました!
ドラマの善一のように音楽を愛し、笠置シヅ子の歌の才能を心から信じていた服部さん。
笠置さんの他にも数々のアーティストをスターへと導きました。
ブギウギでも服部良一さんの楽曲はたくさん登場しています。
音楽を担当している孫の隆之さんとの夢の共演も注目して観ると、ますます楽しめるのではないでしょうか!
その経験を活かしながら、朝ドラ『ブギウギ』でも表現者として魅力ある芝居を視聴者に届けてほしいものですね。